【MultiCulture】歴史を歩む1

カナダといいますと、あなたの頭の中にどんなイメージが浮かびますか?広い国、若い国、綺麗な国家公園、などなど、きっとあるのでしょう。現在、科学技術によって世界が狭く感じられ、カナダというほぼ地球の反対側にある国に旅行や留学に行く人々も少なくなかろうと、近年来感じたことであります。そしてこれからもより多くなるのでしょう。カナダは実に魅力的な国だと、多くに人が思います。この魅力を歴史の角度から見ると、きっと一味違うと思いますので、これからはカナダの歴史から、この国家への理解を深めていきましょうか。


Chapter 1  ここから始まり

カナダは若い国だと思う人は沢山います。実際、外国の人だけでなく、こう思っているカナダ人も少なくないようです。が、カナダは実際、ヨーロッパ諸国と同じくらい古く、しかも常にヨーロッパのフロンティアでした。また、イギリスやフランスとの政治的、文化的なつながりがあり、この両国からの移民も沢山いて、ヨーロッパから遠く離れていても、カナダは孤立状態になったことはありません。カナダ人自身もヨーロッパから完全なる分離の意図はありませんでした。また、輸出市場と外資依存しているために、カナダは今までずっと開放的な社会でした。更に移民者が多いため、カナダの人口構成は今だに流動的であります。例えば、カナダへの日本人の移民は1800年代に始まり、バンクーバーの日本人街かつて日系カナダ人らの生活の中心であり、現在にもその名残を留めています。

カナダは歴史の初めからフロンティアの一部に属し、またカナダ自身、その発展の過程でいくつものフロンティアを生み出してきました。カナダの歴史は、まさに、こうしたフロンティアを支配し、都市を発展させ、そこでの生活情報を計ろうとする人々の戦いそのものであります。そしてこの戦いには、地理的条件が大きく作用していました。

カナダの先住民は4万年前の氷河期にシベリアからベーリング海峡がまだ陸続きだったごろ新大陸に渡ってきたインディアン(モンゴロイド)です。インディアンの時代はカナダ史上、「ファースト・ネイションズ」(First Nations)と呼ばれています。紀元前2000年ごろから、磨製石器、骨角器、樹皮製カヌーが用いられました。西暦800年ごろに土地と食料をめぐり共同体の間に戦争が起こりだしました。西暦1000年ごろには北欧のバイキング(Viking)がアイスランドからニューファンドランド島に到達し、さらに南下したが、バイキングの居住地は永続しなかったです。

十世紀から十一世紀から以降するごろ、ヨーロッパ社会にとってはまだほとんど未知であるカナダは、しばらくの間、バイキングが野心を燃えて触手を伸ばしたフロンティアでした。アイスランドの一握りの農民兼戦士たちは最初は遭難してカナダ北岸に漂着したのでしたが、そのうちに大胆な計画を立てて、ラブラドル海流の霧の中を抜けてマークランドやビンランドへ到達し、そこで数年間の苦しい生活を営みました。しかし彼らは銃など持ってたわけでもなかったので、新世界を征服することができなかったです。その後、ヨーロッパ人にとって一番新しい「このフロンティアは中世の伝説のとばりに閉ざされたまま」約500年もの歳月がすきました。

西欧史上、最初にカナダを発見したのはイギリスのヘンリー7世が発見したイタリア人探検家ジョン・カボット(John Cabot)とセントローレンス川(St. Lawrence River)を探検したフランス人ジャック・カルティエ(Jacques Cartier)でした。当時、大西洋を北西に向かえばアジアに到達する通路があると信じられており、カボットはこの北西航路発見のためニューファンドランド島に到達し、この付近の海域が豊かな漁場であることも知りました。この知らせを聞いて、フランスやポルトガルの漁師が大西洋を横断してニューファンドランド沖で漁をするようになりました。


覚える必要がある名前は以下の二つです。なぜかというと、カナダの発見、そしてカナダをヨーロッパ、そして世界とつながってくる第一歩ですから。

ジョン・カボット

コロンブスは当時ヨーロッパ最強の民族国家スペインのために航海し、東方の富を求めたのと違って、ジョン・カボットはヘンリー7世治下の比較的貧しいイギリスの慎重なブリストル商人たちの依頼で航海しました、大西洋のかなたにある漁場を求めるために。1496年、ヘンリー7世がカボットに下付けした特許状はルネサンス時期の楽観主義を反映しております。

「今日まで、いかなるキリスト教徒にも知られていなかった、
いかなる地の異教徒や異端者の島、国、地方、地域をも探し求め、
発見し、獲得する権能を与える。」

特許状にはこんな言葉が書かれております。

十六世紀を通じてスペインとポルトガルは他国に先駆けた国家統一で有利な地位を占め、南の新大陸の金銀や東洋の香料や絹でもって、ヨーロッパにおける勢力を増大し、教皇が世界を二分して両国に与えた権益を享受しました。やがてバロア朝フランス、チューダー朝イギリス、オレンジ朝オランダは、ヨーロッパにはびこるスペインの権益に対抗し、公海上での商船航路を奪い返しました。しかし、宗教改革をめぐる深刻な抗争に直面して、非イベリア諸国が」当面の植民地事業を最小限度にとどめた結果、ニューファンドランド漁場では、依然として国際的操業が存続していました。毎年夏になると、イギリス、フランス、ポルトガル、スペインから、何百という漁船が出漁し、大量のタラを水あげしたが、彼らが大陸に永住したり、大陸の奥地に入り込んだりすることは進まなかったです。

ジャック・カルティエ

フランス人やイギリス人は、ニューファンドランドやケープブレトン島の海岸にいくつかの漁業基地を設ける一方、ポルトガル人やスペイン人らとともに、発散的ではあったが、大掛かりな探険を行いました。中でも最も重要なのは1534年から、フランス王フランソワ一世に命ぜられて、ジャック・カルティエが行った三度の航海(1534年、1535年~1536年、1541年~1542年)でした。この中に最も重要なのは二度目でした。二度目の航海でニューファンドランドが島であることが明らかになりました。彼はセントローレンス湾、シャルール湾を探険し、セントローレンス皮をさかのぼり、遠くスタダコーナ(ケベック)やホシェラガ(モントリオール)にあるイロコイ部落にまで到達しました。とロコが東洋への水路が見つかるかもしれないという彼らの大きな希望は、ホシェラガ付近の激流に打ち砕かれ、彼は悔しさのあまり、この地をラシーヌ(中国)と名付けました。カルティエは佐那ン度までカナダへ旅しセントローレンス川の水路を発見したほか、サガネイ川流域に素晴らしい王国があるという多くのインディアンの話は単なる伝説似すぎないことも証明しました。
長期にわたる宗教戦争がアンリ4世の新しい強力な君主政治で終わりを告げると、フランス王室は再び北アメリカの潜在力に興味を示すようになりました。以前から毎年出漁を続けていた人々は既にそのごろまでに、毛皮の交易を発展させ始めていました。彼らは、インディアンが小間物や比較的に安価な製品を得ようと進んで漁業基地に毛皮を運んでくることに注目し、カナダの新たな主産物を開発するために点綴的な重商主義的盟約を結びました。1602年、アンリ4世はルアンの資本家グループに初めて毛皮交易独占特許状をした付けし、こうしてニューフランス史全体を通じて支配的な力となる産業を樹立したのでした。


Canadian Museum of History
(Canadian Museum of History)

この人達の足跡を追っていきたいのですが、それは時間も体力もかかる膨大な任務になるので、なかなか難しいです。ただし、気軽で訪れることができ、そして彼らがカナダ人にどんな影響を与えたのかを体験してみることができます。ジョン・カボットもジャック・カルティエも、カナダという国に対して重要な人物なので、カナダ人は今でも彼らを記念をし、そして彼らへの敬意を表してることは、この国で旅をするときには感じられます。というわけで、彼らのシルエットを一瞥をしてみるところを紹介してみたいと思っています。

カナダ文明博物館(Canadian Museum of History)(旧名:カナダ歴史博物館)先住民に関する内容が盛り沢山、そしてジョン・カボットに関するものもあります。カナダの歴史を知る絶好な場所です。
住所:100 Rue Laurier, Gatineau, QC K1A 0M8
公式サイト:http://www.historymuseum.ca/

シグナル・ヒル国定史跡Signal Hill National Historic Site頂上には初めてカナダ上陸を果たしたジョン・カボットの上陸400年を記念して建てられたカボットタワーがあります。セント・ジョンズ港に行ったら、ぜひ一度見てみてください。
住所:Signal Hill RoadSt. John’s, Newfoundland and Labrador A1A 1B2
公式サイト:http://www.pc.gc.ca/en/lhn-nhs/nl/signalhill

カボット・トレイル(Cabot Trail)ノヴァスコシア州北部のにあるケープ・ブレトンにあるトレイルです。ケープ・ブレトンは初めて探険してきたジョン・カボットが命名しました。
住所: northern Victoria County and Inverness County on Cape Breton Island in Nova Scotia
公式サイト:http://www.cabottrail.travel/

ジャック・カルティエ広場(Place Jacques Cartier)モントリオールの旧港にあり、市庁舎から旧港に抜ける細長い広場です。市庁舎前にはネルソン海軍司令官記念碑があり、花やフルーツを売る露店が立ち、広場を見渡すように洒落たカフェが軒を並べています。夏には大道芸人が出るそうです。
住所: Old Montreal in Montreal, Quebec, H2Y 0A1
公式サイト:http://www.vieux.montreal.qc.ca/eng/accueila.htm

ジャック・カルティエ橋 (Jacques Cartier Bridge):セントローレンス川に架かる橋、イベントがあるときにイルミネーションがとっても綺麗です。
住所:134 Pont Jacques-Cartier, Montréal, QC H2K 4M2
公式サイト:http://jacquescartierchamplain.ca/


(Jacques Cartier Bridge)

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