【MultiCulture】歴史を歩む10

Chapter 10

カナダの鉄道とその歴史

鉄道建設は1830年代後半から始まりました。カナダにおける最初の鉄道はジャンプラン・セントローレンス鉄道(Champlain and Saint Lawrence Railroad) で、1836年にモントリオール郊外で開業しました。

試験的に開始された鉄道は1840年代、1850年代には完全にブームになりました。1849年の鉄道利子保証法によって、英領カナダ両植民地での鉄道路線が急速に拡張することになりました。すべての植民地で物資の集散地を連結するために、あるいは奥地の森林や農場を切り開くために短い鉄道線が敷かれました。中にはもっとも重要な路線はアメリカの鉄道と旅客や貨物を横取りするという目的を持っていました。

その時にアメリカには特別保税貨物法がありました。この法律によってカナダの貨物は関税を払わずにアメリカ領を通過することができ、この措置によって、モントリオールとメイン州のポートランドを結ぶセントローズに代わる冬季輸送線路ができました。

サー・アラン・マクナブ(Sir Allan Napier MacNab, 1st Baronet)、カナダの政治指導者、1854年から1856年にかけてカナダの州長は、おそらく投資家の基準についてはあまり頓着なかったであろうけれども、ある訪問者に自分の政治観について尋ねられて、「私の政治は鉄道です」と同じく率直に答えたことがあります。実際、鉄道政治は党派の別なく蔓延していました。改革党の首相フランシス・ヒンクス(Rt. Hon. Sir Francis Hincks)は鉄道及ぶ鉄道関係の事業に直接関係していたことが調査によって判明したため、政界から一時身を引くこともありました。鉄道ブームはナショナリズムとしか形容できないような圧力の高まりと深い関係があり、そしてこのてんの焦点となったのは、当時最大の事業、グランド・トランク鉄道(Grand Trunk Railway)をめぐる利害の絡み合いでした。

グランド・トランク鉄道は1861年までに、サーニアからモントリオールまでの本線と、ケベックからメイン州ポートランドまでの延長線が完成しました。当時世界最長の鉄道で、経費も恐らく世界最高だと思われます。本線の全長は1100マイルを超え、直接間接に多大の政府援助を受けたこの鉄道は60年代後半までには絶望的は負債を抱えたことがあります。そのため、投資家のロンドンのカナダ政府財務代理人はカナダの代表的実業家兼政治家たちとともにグランド・トランク鉄道の大株主となってカナダ政府の破産を回避するために思い切った行動を要求したことがあります。

1869年、ブリティッシュコロンビアは中央カナダから沢山の応援を得て、植民地で起こった連邦賛成運動が世論を動かし、以前からあった合衆国との統合を唱道する意見を断ち切りました。ブリティッシュコロンビア州として連邦に加入することを条件として、1871年に一つの取引を成立されました。その中に、太平洋までの鉄道を建設するという約束も含まれていました。その鉄道は1873ねには着工し、1883年までに完成させることになっていました。それはできないという相談もありましたが、ブリティッシュコロンビアが合衆国の勢力圏に入らないように保証する唯一の可能性でもありました。1869年には合衆国最初の大陸横断鉄道が完成していて、建設が約束されたカナダ太平洋鉄道の目的がブリティッシュコロンビアの海岸地帯とカナダの鉄道網を結びつけることであるという条件で連邦に加入することになっていました。

1870年代には大規模な大陸横断工事を完成するために新しい問題が加わりました。保守党が試みたのは、カナダ太平洋鉄道への投資をためらっていた資本家たちに広大な西部の未開拓地を提供するとともに、現金で助成したり、その他の特典を与えるなどして、資本家を勧誘することでした。太平洋岸への鉄道路線であるカナダ太平洋鉄道は民間資本とプレーリー地域の大量の土地信託資金(鉄道敷設前にはほとんど価値のなかった土地)で2500ドルの資金と独占権を獲得し敷設されました。そして世界最長鉄道は1885年正式に開通しました。

1900年代のカナダの経済成長で、大陸横断鉄道はさらに2路線が追加されることになりました。カナディアン・ノーザン鉄道は北部プレーリー地域を通過し、グランド・トランク鉄道もグランド・トランク太平洋鉄道として大陸横断鉄道を敷設することを発表しました。政府は当初この2案を1路線にまとめる調整を行ったが合意に至らず、両案ともに支持することになりました。また、連邦政府自身も居住者のいないカナダ楯状地の広い後背地にナショナル・トランスコンチネンタル鉄道を敷設しました。

カナダの鉄道建設は国家建設にとって必要欠くべからざるものと考えられていました。もっと広い一般経済政策も国家建設には必要でした。

第一次世界大戦が勃発したため移民数が減少し、資本不足に陥ったためこの積極的拡張策は失敗に終わりました。その結果、合計20億ドルの負債を計上し、カナディアン・ノーザン鉄道、グランド・トランク太平洋てつどう、グランド・トランク鉄道は連邦政府により国営化されました。これらの3つの鉄道会社は国営カナダ政府鉄道とし、1918年から1923年の間にさらにカナダ・インターコロニアル鉄道、ナショナルトランスコンチネンタル鉄道およびその他の中小鉄道会社と合わせてカナディアン・ナショナル鉄道として合併しました。

第一次世界大戦後、鉄道拡張も収まり、カナダでは鉄道の黄金時代が終了しました。1920年代には自動車輸送が競合として登場し、第二次世界大戦後は個人の移動手段は自動車と航空機に奪われるようになりました。戦後、ケベック、ラブラドール、ブリティッシュコロンビアで大規模な資源輸送用の鉄道が敷設されたが、北米の幹線鉄道に接続されないものも多かったです。

1978年政府はカナダ国内の旅客輸送事業を統合し、VIA鉄道(VIA Rail Canada)を設立しました。1987年には全国輸送法(National Transportation Act)を公布し、カナダにおける鉄道産業の規制緩和を部分的に実施しました。これにより赤字路線の撤廃規制が緩和セれました。1995年には連邦政府はカナディアン・ナショナル鉄道を民営化し、1996年には全国輸送法を修正したカナダ輸送法を公布し、全面的に規制撤廃を実施しました。


現在カナダにある主要な鉄道

カナディアン・ナショナル鉄道(Canadian National Railay)

カナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway)

VIA鉄道(VIA Rail)

オンタリオ・ノースランド鉄道(Ontario Northland Railway)

BCレール(BC Rail)

セントラル・マニトバ鉄道(Central Monitoba Railway)

ハドソン湾鉄道(Hudson Bay Railway)


カナダ鉄道博物館(The Canadian Railway Museum)

1978年、鉄道博物館が設立され、2007年に国家博物館になりました。カナダ国内最大級の鉄道に関するコレクションがあり、列車や部品の展示を見ながらカナダの歴史を学ぶことができ、カナダ歴史上の先駆者たちの夢と希望を体験することもできます。2017年11月から2018年5月までは金曜日、土曜日と日曜日開館になります。営業時間は朝9時から午後5時までです。
住所:110, Saint-Pierre Street, Saint-Constant, Québec J5A 1G7
公式サイト:http://www.exporail.org/en/welcome-to-exporail/

カムロース鉄道博物館と公園(Camrose Railway Museum & Park)

遺産公園の真ん中に鉄道博物館があります。ここは地元の鉄道遺産によって建てられたもので、国有鉄道の車両基地を見学できます。周りにお土産ショップやお茶スペースもあります。そして図書館があります。図書館の中に地元の鉄道に関するもの、カナダの鉄道歴史に関する記事、そして鉄道駅の紹介などがあります。外には公園になっておりまして、子供が遊ぶところや花園もあります。
住所4407 47 Avenue, Camrose, Alberta T4V 1X2
公式サイト:http://canadiannorthern.ca/Camrose/

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