船に乗るーーBluenoseとその伝説な歴史
- 2017/6/23
- 観光情報
2017年、カナダ連邦150周年記念のため、40隻の船が航行する予定があり、その巨大な船に乗り、海での旅を楽しむチャンスもある。
その中に、語らざるを得ない一隻がある。
それは、カナダ歴史上で最も有名な船ブルーノーズ(BLUENOSE)の複製である。今はノバスコシアの航海大使となり、シンボルとしてカナダ人に知られている。
ブルノーズ一世はカナダの伝説となったといっても過言ではないぐらい有名である。
1921年、William Routeの設計によって、Smith Rhulandは一隻のレース船と漁船の合体を作った。これはブルーノーズだった。
ブルーノーズは全長43.6メートル、排水量258トン、船員20人も入れられる当時に巨大なスクーナー船であった。喫水線34.1メートル、喫水4.85メートル、船幅8.2メートルであった。外部は全部黒く塗られ、かっこよく見え、海にもよく見えるようになっていた。1920年に竜骨が置かれ、ついに1921年3月26日に進水した。4月にようやく完成して、ルーネンバーグを離れた一回目の航行を成し遂げた。
1921年4月15日から、ブルーノーズは漁船として働き始めた。ブルーノーズは漁船としてとっても優秀だった。ブルーノーズに8つの小型漁船(2人乗り)がおかれておい、1つの小型漁船は一日中4回もブルーノーズを離れて作業してそして戻ることができた。お陰で、ブルーノーズはカナダ歴史上一回最大魚捕獲量の記録を持っていた。
漁期が過ぎると、ブルーノーズはレースに出た。同年、初めての「国際漁師賞」を手に入れた。これからの17年間、ブルーノーズは無敵だった。船長Augus Waltersの下で、連続17年間国際漁師賞を取り、世界に名を挙げた。1928年、「北太平洋漁船艦隊女王」の名をつけられた。
1930年代になり、世界中にエンジン付きの漁船が主流になって、ブルーノーズみたいなスクーナー船はだんだん時代遅れになった。1937年、ブルーノーズはもう一回国際漁師賞のレースに出た。この年のレースは5つに分けられ、ブルーノーズは5回目の優勝を取った。が、それはもうブルーノーズの最後のレースだった。
輝いてる歳月が過ぎ、戦争は港でおとなしくして、1942年にWest Indie Trading Companyに売られて、1946年にはHeitiに行く途中で暗礁にあたって沈んだ。伝説に相応しくなく、ずっと航行している海から、あっさりと消えた。
20年後、Oland Brewery出資でブルーノーズの再建が始まった。沈んだ伝説のブルーノーズ一世と同じ船にし、一世と同じ造船所で造られた。
この船をブルーノーズ二世(Bluenoes ||)と名付けられた。
1963年、船長Walterはブルーノーズ二世を連れて海に出た。これは二世の初めての航行だった。
1971年、ブルーノーズ二世は$1の値段でカナダ政府に売られた。その後、ノバスコシアの航海大使として、旅行業推進に励んだ。
2010になり、50歳の二世は年齢などを原因で解体され、新しいブルーノーズ二世の建造をスケジュールに入れられた。
2012年9月29日、新ブルーノーズ二世の進水式のため、一日のお祝いが行われた。カナダ人にとって、それは伝説の復活というようなことだろう。
2015年、新しいブルーノーズ二世がルーネンバーグに航行した。
1929年1月6日、カナダ政府により発行された50centの郵便切手にブルーノースの様子が見れる。
1982年、国際宇宙青年展の記念として発行された60centの切手にも、ブルーノースの姿がある。
2002年、カナダ政府がコインにブルーノースのイメージを使うと決めた。
それに、ノバスコシアのナンバープレートにも、ブルーノースがある。
カナダ人はこの船を覚え、この船の存在を誇りだと思っていることが考えられる。
海の伝説はまだ続いている。その伝説を見るチャンスもある。
ブルーノーズのクルーとして、北太平洋で旅する魅力、体験の価値があるに違いない。